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農地改革への動き

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戦後の財閥解体などと並んで日本経済の民主化の大きな柱といわれている農地改革は、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の政策、民主化の一環として行われたものであり、その後の日本の農業社会に大きな変化をもたらした。
 戦争によって荒廃した国内の状況は極度の食糧不足に陥っており、深刻な問題となっていた。これらを改善すべく、昭和二十年(一九四五)十一月十三日、連合軍最高司令部は、日本政府に対して食料問題解決のため十二月十五日までに食料増産はもとより開拓案、農機具、肥料の需給にいたる短・長期的な食料増産計画について詳細な報告を提出するよう命令した。さらに、日本の再建の一つとして同二十年十一月二十二日の閣議で「健全なる農家の育成により、農業の生産力の発展を図る」ため、自作農創設の強化、小作料の金納化、市町村農地委員会の刷新の三点を柱とする農地改革制度改革要綱、いわゆる第一次農地改革案を決定し、戦前の農地調整法(昭和十三年)の改正を行った。
 この第一次農地改革は、不在地主及び在村地主の所有する農地の所有面積を五町歩程度(全国平均)とすること、農地の開放は、地主と小作人の話し合い(直接交渉)で行う、農地を開放した地主に対する報奨金の交付、自作農の創設は五年以内に行うことなどが盛り込まれていた。自作農の創設により、農村の民主化を目的とした農地制度の根本的な改革を目指したものであった。しかし、地主の保有面積が大きく開放農地は全国的にみて全小作地の三〇パーセントに過ぎず、また農地の解放は地主と小作人との直接交渉によるものであるなど問題点も多くあった。
 さらに、昭和二十年十二月九日、GHQは日本政府に対し「農地改革に関する覚書」を発して更なる農地改革の徹底を指令した。こうした勧告をうけて政府は第一次農地改革後半年で第二次農地改革に着手した。翌年七月二十六日「農地改革の徹底に関する措置要綱」が閣議決定された。この要綱の主な点は、①在村地主の範囲を勧告より広げ「近隣市町村の区域内で、市町村農地委員会が指定した区域」に農地を有する場合も含まれる。②内地で平均三町歩、北海道で一二町歩を超える自作地で農業の発展上好ましくないものの認定買収。③採草地、宅地、農業用施設なども認定により買収できる(農林省「農地改革資料五号」)などといったものであった。この要綱は「自作農創設特別措置法」として同年十月二十一日公布され、同年十二月二十九日施行された。こうして、歴史的な農地改革がスタートした。