農地改革の実施にあたってその推進組織として農地委員会が置かれた。昭和二十一年十一月六日埼玉県農地部が発足し、県下の各地方事務所にもそれぞれ担当者が置かれ、担当者に対する農地改革に対する実務講習会も行われた。これと同時期、同年十一月二日に農地制度改革推進委員会が設置され、第一回会合が浦和市(現さいたま市)常盤クラブで開かれた。農地開放の徹底の方策や普及啓発活動について研究協議された。同年十二月二十二日に県下一斉に農地委員を選ぶ選挙が実施された。町域の百間村は選挙によって地主委員三人、自作委員二人、小作委員五人、計十人が選出され、須賀村でも同じく十人の委員が選任され、両村の農地委員会が発足した。翌年から本格的に改革業務が始められた。続いて翌年二月二十三日、県農地委員選挙が行われ、小作委員一〇人、地主委員六人、自作委員四人、計二〇人が選出され、三月三十一日に第一回の会合がもたれ「埼玉県農地委員会規程」が定められ、その第一歩が記された。