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町域の合併の動き

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埼玉県では、昭和二十七年八月「埼玉県町村規模適正化促進委員会」が設置され、町村規模適正化の促進に関する基本方針等の策定、試案作成等、町村合併に向けて本格的に動き出した。昭和二十八年十月六日に、「埼玉県町村規模適正化促進委員会」を発展解消し「埼玉県町村合併促進審議会」を立ち上げ、以後、町村合併に向けて体制づくりが行われた。
 こうした県の合併に向けた動きを基に、百間村では昭和二十九年二月九日、議員を始めとする主だった委員、地区代表等に対する「町村合併促進法説明会」が開催された。これは、「町村合併促進法」に対する、県、地方事務所職員による説明会であった。
 昭和二十九年二月二十六日県町村合併促進審議会では第二次答申を行い、併せて合併の試案が公表された。これによると、町域は「杉戸町、高野村、八代村、提郷村、田宮村、百間村、須賀村」の一町六か村という案が示された。こうした県試案を受けて、百間村では五月八日町村合併について全戸に呼びかけ、百間小学校を会場として促進法の説明等について懇談会を開いた。さらに、百間中学校での説明会をかわきりに各地区別に説明会を開催し、趣旨の徹底を図った。
 須賀村では、同年五月、村協議会が開催され、村議会議員、区長、教育委員会、婦人会、青年団、PTA、学識経験者等合わせて五五人からなる町村合併促進協議会が設置された。
 百間村でも、五月に議員、地区代表、地区選出者、各種団体の長による百間村合併促進委員会が結成された。六月には百間村で町村合併促進常任委員会が開催され、百間村常任委員を中心として、須賀村側からも議長、副議長、議員、区長代表が出席している。
 また七月には、百間村では町村合併促進協議会の第一回全体会が開催された。さらに合併促進協議会特別常任委員会の第一回の会議が村長以下、議長・議員、地区代表、教育委員、農協組合長により開催されている。このほか対外的な折衝にあたる百間村合併促進協議会第一回の渉外委員会が開かれている。同月の末には須賀村百間村渉外実行委員会委員の合同会議が開催された。以降、常任委員会、渉外委員会等が毎週のように開かれ合併に向けて慌ただしい動きが見られた。
 このように度重なる協議を経て、同年八月の百間村議会では須賀村と合併する旨が決議された。こうした須賀村との合併に対し、県試案のとおり一町六か村の合併を主張する地区の住民から「陳情書」が村長宛に提出されている。このような動向に対して百間村合併促進協議会でも慎重に論議が重ねられ、かつ須賀村との関係に配慮しながら進められた。その後、度々協議が重ねられ、また須賀村百間村合同会議が開催されるなど、両村合併に向けて進められていった。
 百間村、須賀村両村の合併の話が進められる中、県試案にもあった昭和二十九年九月、杉戸地区合併促進研究会の一町五か村の首長、議長と百間村合併協議会渉外委員との懇談会も行われ、さらに昭和二十九年十月には杉戸町と百間村、須賀村との会談も行われるなど、さまざまな動きがあった。

4-111 須賀村役場前にて(昭和30年)(渋谷氏所蔵)

 こうした中、県では昭和二十八年十二月、二十九年二月合併の促進に関する宣伝資料を作成しその啓発に努めた。昭和二十九年九月県から町村合併強調についてのポスターが送付され、さらに国で五月と九月の二回、町村合併強調週間を設けたのに伴い県総務部長、埼玉県合併促進審議会長より各町村宛、町村合併促進運動、町村合併強調月間の通知が出され、町村合併に対する啓発活動が行われた。
 同年十月、須賀村の合併促進協議会では、百間村と合併問題を研究することを全会一致で決議した旨、百間村合併促進協議会宛に通知した。その後、議会議員約一〇人が百間村に来村し、須賀村実行委員百間村特別委員会が開かれ、さらに十一月には須賀村百間村町村合併研究協議会を発足し、翌月に須賀村百間村町村合併研究協議会打合会が開かれた。こうして、次第に両村の合併に対する機運が高まっていった。しかし、須賀村との二村合併に対する反対意見も論じられ、十二月に須賀村百間村両村特別常任委員が開かれるなど、慌ただしい動きも見られた。
 こうしたさまざまな課題もあったが、百間村、須賀村の関係者の努力により両村の合併が次第に固まってきた。