昭和三十年四月三十日須賀村議員と百間村議員の町村合併についての懇談会が開催され、五月八日百間村議会開催され、合併協議会の設置について可決された。こうして、合併の機も熟した同年五月十日第一回の百間村須賀村合併促進協議会開催され、具体的な事務折衝に入ったのであった。協議会では、合併年月日、合併形式、新町村名、役場の位置および支所並びに支所の取扱事務、小学校、中学校の位置および学区、財産処分、議員の任期、定数、選挙管理委員会、教育委員等の任期、定数、国民健康保険の取扱等、新町建設に向けて話し合いが重ねられた。
このように両村の協議は急速に整い、二村を合併すると同時に町制を施行することに完全に一致し、同年六月十日両村議会において異議なく議決された。百間村、須賀村は南埼玉郡の北部に位置し、古くは百間領に属しており風俗、習慣を同じくし、教育・経済・産業等、交通的にも東武鉄道の主要駅を有することなど緊密な関係にあったことが、こうした合併につながったものと言えよう。
こうして、昭和三十年七月には地区代表者会議が開催され、百間村須賀村合併促進協議会発足からの経過が説明され、合わせて新町建設計画についての説明がなされた。