ビューア該当ページ

宮代町の誕生

628 ~ 630 / 660ページ
昭和三十年七月十八日県報告示第四九九号「地方自治法第七条第一項の規程により昭和三十年七月二十日から南埼玉郡百間村須賀村を廃止しその区域を以って宮代町を置く 埼玉県知事 大沢雄一」とあり、また、「町村配置分合昭和三十年七月二十日総理府告不第一三四五号 地方自治法第七条第一項の規定によりこの告示の日(昭和三十年七月二十日)から南埼玉郡百間村、須賀村を廃し、その区域をもって宮代町を置く旨埼玉県知事から届出があった。昭和三十年七月二十日 内閣総理大臣 鳩山一郎」とある。こうして、両村ともさまざまな課題を乗り越えて昭和三十年七月二十日の合併の日を迎えたのであった。
 新町名については、各村で公募し、そのなかから五種ずつ選出して協議会で決定した。百間村では、宮代、笠原、宮戸、墨田、古川が、須賀村では新生、宮代、古川、宮戸、浦里の十種が選出採用され、協議会委員全員の無記名投票の結果、「宮代」と決定した。なお、「宮代」とは、百間村の鎮守である姫宮神社の「宮」と、須賀村の鎮守である身代神社の「代」を採って名づけられたものである。

4-112 宮代町発足の御挨拶(折原家文書)


4-113 合併時の宮代町の概況(折原家文書)


4-114 合併関係村略図(折原家文書)

 また、役場は新庁舎建設までの間、暫定的に宮代町字西原七九番地(現西原保育園)に置かれ、旧百間村役場庁舎を使用することとし、旧須賀村役場(現和戸公民館)を支所とした。
 七月二十日 初議会が開催された。旧須賀村、旧百間村議員が暫定的に宮代町議員としてその任にあたっている。初議会は、二十日午前八時から始まり、議長、副議長の選挙、教育委員会委員選挙、選挙管理委員会委員及び補充員選挙、農業委員会委員の推薦を経て、第一号議案 宮代町公告式条例設定、第二号議案宮代町役場の位置を定める条例案、第三号議案 宮代町支所設置条例案、第四号議案 宮代町課設置条例案、第五号議案、宮代町職員定数条例案等十八の議案が審議、可決され、午後二時十五分閉会となった。こうして、宮代町の第一歩が記された。

4-115 宮代町字西原79番地に設置された宮代町役場
(旧百間村役場)