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摘田

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 摘田は、育てた苗を田植えするのではなく、籾を直接田に播く方法の稲作である。また、こうした摘田の行われる田自体についても、摘田と呼ばれていた。町内では、摘田が行われていた田は、中、金原地区の谷新田(やしんでん)(下の谷新田)にある。この地区は、もともと用排水路がなく、台地に降った雨がしみだしてくる谷状の地形である。このため、田の中は柔らかく、条件の悪い場所では田に入ると、膝上まで土の中に足が入ってしまう場所もあったという。このため、馬や牛を入れての代掻きなどはできなかった。また、天水場と呼ばれ、水利を雨水に頼っているため、必要な時に水がなかったり、水を落としたくても水が落ちないため、田植えができない。
 しかし、昭和二〇年代後半になると、隼人堀川から水を引く、南部用水が完成したため、水の心配はなくなり、摘田は次第になくなったという。また、暗渠(あんきょ)排水工事により水はけが良くなったことも、摘田の消滅へとつながった。