ビューア該当ページ

国納C家の営農形態

50 ~ 50 / 772ページ
 国納では、田は七反から一町、畑は五反から六反といったところが平均的であった。春から秋は、田では稲、畑では大豆を八割、さつまいもが一割、残りの一割で他の作物を作ったものである。大豆は肥料に使うので多く作った。また、麦の後に早生大豆をつくと、収穫後そばを作ってから麦を播くことができた。
 冬は畑で大麦と小麦を作り、さらに田でも田小麦といって二毛作を行っていた。用水が四月二八日ごろには入ってくるため、用水の入る田では田小麦を作れなかった。田小麦は国納沼の田で行われていた。昭和四〇年代になると畑の陸田が進み、麦の栽培が行われなくなっていく。これは稲の早植えができるようになったためとされる。
 このほか、養蚕が盛んに行われていた。C家では、春蚕、初秋蚕、晩秋蚕の三回行った。春蚕が最も多く、蚕種量で八〇グラムから九〇グラム行った。初秋蚕と晩秋蚕は二回あわせて春蚕くらいの量であった。初秋蚕は八月一、二日に掃き立て、高野の施餓鬼(せがき)のころ上蔟(じょうぞく)した。種は大宮の片倉製糸から買い白岡の乾繭所に出した。桑園は四反あった。