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馬・牛の共同飼育

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 農耕用の馬や牛は、一軒で飼育する事例と、二、三軒で共同飼育する事例がある。姫宮には約三〇軒の農家があったが、全部で一二頭の馬・牛がいたという。比較的一軒で一頭の馬・牛を飼育していたが、二、三軒で共有する事例も見られたという。
 農耕用の牛馬を共同飼育することを、「ウマイイ(馬結い)」とか「イイウマ」、「ノリに飼っている」といった。
 東粂原のある家では、二軒でウマイイをしていた。周辺では二軒でウマイイをするのが一般的であったが、家によっては三軒でウマイイをしていたという。ウマイイの相手とは付き合いが難しい。相手方の家での馬の使い方や飼育の仕方について批判をしあうようになることがあるためである。このため、ウマイイの相手には、親戚などではなく懇意な他人が良いとされる。また、あまり家が遠いと馬の移動も大変なので、近所の人を相手にした。普段は、一五日とか一〇日交代で馬の世話をしたが、最も忙しい田の代掻きの時期は、半日単位で交代しながら馬を使ったものである。田うないや畑うないの時期は、比較的余裕があるので、一〇日単位の交代でも対応できた。冬の農閑期には、馬にビクをつけて肥料の運搬に使ったり、藁(わら)を広げて麦こなしを馬に引かせて藁細工のための藁の調製に使うこともあった。
 東のある家では、三軒で牛を共同飼育していた。共同で飼う相手は、耕作面積がほぼ同じくらいで、近所の家ということが一般的である。特に、親戚同志で行うことはなかった。普段は一か月交代で世話をし、必要なときに外の家と調整して牛を使った。使う時期には、午前、午後の単位で使った。
 国納のある家では、以前は馬を二軒で飼っていた。本家分家で飼ったもので、一か月おきとか二か月おきに飼育するものである。昭和二二年ごろからは一軒で持った。牛馬には、普段稲藁を食べさせ、夏場の七月ごろから草を食べさせたという。
 姫宮のある家では、牛を黒浜の馬喰(ばくろう)から購入していた。だいたい七~八年は使うことができる。牛を購入する際には、二軒なら折半、三軒なら三分の一ずつ負担するが、田の耕作面積に応じて負担することもあった。