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用水と悪水の管理

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 用水路や悪水路の管理としては、サライと呼ばれる浚渫(しゅんせつ)作業と、モガリといわれる除草作業があった。東粂原の渋谷地区のある家では、自分の所有する田の関連する用水・悪水の管理のため、笠原沼落し、中須用水、姫宮落川のサライやモガリに係わりを持ってきた。
 沼落しのサライは四月ごろであり、川底のノロをさらう作業を行う。このときには、東粂原から五、六人出ればよいので、総代(今の区長)か手間のある家に依頼し、字費から日当を出して出てもらっていた。サライを行う場所は毎年決まっており、沼落しが東武鉄道の線路を渡ってすぐの橋付近が東粂原の担当であった。このすぐ上流は白岡町の爪田ケ谷の担当であった。沼落しのモガリは七月に行う。サライと同じ場所で行ったもので、モガリの際には田を作っている家が総出で行うものであった。
 中須用水は、見沼代用水から菖蒲町にある十六間堰から分水している用水路である。この用水では四月に、川底から砂を浚う作業を行う。沼落しのサライと同様に、総代が手間のある家に依頼し、字費から日当を払って出てもらっていた。サライを行う場所は毎年決まっており、東粂原の分担は菖蒲町の三箇の方であった。
 姫宮落しのサライは四月であり、東粂原では道仏の水管橋前後を浚うものであった。また、七月にはモガリを行い、東粂原は道仏の幼稚園付近が担当であった。