田植えは六月二〇日ごろから行われた。遅くとも七月一日の浅間様の日前に行った。姫宮では、「浅間様に植えると一俵違う」といい、これは浅間様に植えるのでは遅く、収量が一俵少なくなるとされた。前述のように卯の日の田植えは、籾振りと同じように嫌われた。また、西風の日には田植えをするなともいわれた。これは西風の日に田植をすると、稲の葉がよじれて黄色くなり、カッチャクが遅れてしまう。
苗取りは、田植えの当日朝に行うものである。その日に田植えを行う面積に応じて苗取りを行うのである。朝早くから起きて準備し、苗取りの人と田植えの人に分かれて仕事をした。
田植えは、だいたい一人が一日三畝くらいを植えることができた。畝間(うねま)は一尺、株間は六、七寸取った。畝を決める基準のために、張り縄を張り、この縄に沿って田植を行う。張り縄を巻き付ける棒は、二尺の長さで、この棒で間隔を測るものである。このため、張り縄は二尺間隔で張り、その間は目見当で植えるのである。おおよそ、縄の両端を男が持ち、田植えは女がするのが一般的であった。
苗取りや田植えは、イイユイといってお互いに手伝いを頼んだものである。これは主として馬や牛を持っている家が、馬や牛を持たない家のシロカキを手伝い、その替わりに苗取りや田植えを手伝うというものである。また、ウマイイといって馬や牛により二~三軒で代掻きを行った。