麦は、一〇月二〇日から一〇月三一日の間に種を播いた。播きシンは一〇月二五日ごろである。これに対して小麦は、一一月初めに播くもので、一一月三日の明治節(現在は文化の日)が播きシンであった。麦は、早く播くと伸び過ぎてしまうので、ある一定の期間に播かないといけなかった。また、麦播きを戌の日に行ってはいけないという禁忌伝承がある。東のある家では、戌の日に播くと、犬がかき回してしまうのでいけないとしていた。
麦播きのときの種は、一升枡に入れて播く。条播するもので、後には麦播き機がでてきた。だいたい一反につき五升くらい播くため、その分量を量りながら播くので一升枡に入れるのだという。五升では少ない方であるが、一斗播くということはなかった。
播いた後は、ツブテックシを使って土を掛けていく。土を掛けた後、この土を踏んでいく。ただし、粘土質の重たい土の畑では、その必要がなかった。