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盛んな時代

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 宮代町で養蚕が行われるようになったのは江戸時代後期であり、飛躍的な伸びをみせたのは明治二〇年代からである。
 宮代町は、現在こそ耕地の約八〇パーセントが水田であるが、これは昭和三〇年代に陸田の開発が進んだためであり、それ以前は麦、大豆、小豆、陸稲などの畑作が中心であった。オカバと呼ばれる畑作地域では、蚕の作る繭が収入の大きな部分を占めていた。そのため、蚕は「お蚕(こ)さま」と呼ばれて大切に扱われたのである。蚕の餌とする桑は畑で育てられ、畑は総面積のうち約二割が桑園に当てられた。