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蚕種

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 蚕種はタネと呼ばれ、古くは種屋から購入された。町内では、須賀の上ゴウチに住むK家が種屋を営んでいたという。戦前に養蚕組合が組織されてからは、組合を通じて蚕業指導員が蚕種を配るようになった。
 蚕種は蚕卵紙(2-17)に一〇グラムずつ産み付けられており、養蚕組合に必要なグラム数を注文しておくと、孵化直前の蚕種を蚕業指導員が届けてくれた。

2-17 蚕卵紙

 一年の蚕期のうち蚕種の購入量が最も多いのは春蚕で、一〇〇グラムから一八〇グラムのタネを購入した。春蚕の時期は温度、湿度共に適当で、蚕の病気が出にくい。また、桑の質も良く上質の繭ができる。これに対し、初秋蚕の時期は高温多湿のために蚕の病気が出やすく、桑もしなびやすいことから繭の質にも影響が出る。したがって、蚕種の購入量は春蚕の約半分であった。
 蚕種に関して特筆すべきことは、和戸キリスト教会創設者の小島九右衛門である。氏は、明治五年、蚕卵紙用の紙をヨーロッパから輸入し、これに卵を産み付けさせたものを輸出するために横浜港へ出向いた。そして、明治七年に当地で胸の病を患い、その折りにヘボン医師に診療を受けたことがきっかけとなって洗礼を受け、明治一一年に県内初のキリスト教会を和戸の私邸に開設したのである。これも、養蚕がもたらした宮代町の文化の一端といえる。