蚕は四眠中に母屋のザシキから出され、五齢期はバラックで飼育された。
バラックは、シノゴヤ(収納小屋)や木小屋の軒先に深い庇(ひさし)を下ろしたもので、この下に縁台を組んで蚕を広げた。また、平飼いと称して地面にモミヌカ(籾殻)を敷き、この上に蚕を広げる家も多かった。中には、釣り棚を作って地面との二段飼いにする家もあった。釣り棚は、バラックの柱に横木を渡し、この上にヨシズを敷いたものである。バラック以外では、母屋のダイドコロの土間に縁台を組んで蚕を広げる家もあった。
蚕をバラックに出すと、ザシキは解放された。盆の時期には晩秋蚕が四眠に入るので、これをバラックに出せばザシキは解放され、盆棚を作ることができた。しかし、気温の低い年には桑を食べる速度が鈍り、その分成長が遅れて、盆になっても眠に入らないことがあった。その場合にはザシキが空かないので、隣のデイの一角に盆棚を組んだ。