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籠屋の技術習得

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 ここでは辰新田の故森惣作氏と須賀島の後藤政氏を例に紹介する。
 森惣作氏は大正三年に当地で生まれた。父であり初代の周助氏の跡を継ぎ、籠職人となる。修業は一三歳から三年間、白岡町下野田の籠屋で行った。修業はメワリ(竹割り)から始まった。メワリも一人前になるには三年を要するといわれた。初めて製作したものは養蚕で使うエビラであった。修業を終えると農業を行いながら籠屋を営んだ。しかし、籠の需要が減り、昭和二三年から四〇年間は商売としての籠作りはせず、平成になってから再び始めた。そのきっかけは「市販されている笊(ざる)の目が粗く、米研ぎのとき、米がこぼれてしまう」という話を聞き、自分で細かい目の笊を作り、分けてあげようと考えたからであった。
 後藤政氏は大正一〇年に生まれた。生家は森氏の母の実家であり、叔父である森氏の影響を受けて籠作りの技術を習得するために一六歳から四年間、二〇歳の徴兵検査まで森氏のもとで修業した。修業はメワリから始まり、初めて製作したものはクサトリミイケであった。クサトリミイケは四つ目の編み方で比較的簡単だが、ヒラショウギの底組みなどは網代組みといい、かなり熟練しないと難しい。こうした技術については見様見真似で覚え、コツなどを事細かに教えてもらうことはなかった。修業を終えたころ、兄が出征したため、自分が農業を手伝うようになった。