ビューア該当ページ

春日部桐箪笥(たんす)の歴史

109 ~ 110 / 772ページ
 宮代町に隣接する春日部市は現在、静岡県藤枝市・新潟県加茂市とならぶ桐箪笥の三大産地の一つにあげられる。春日部がこのように桐箪笥の産地となった理由は、伝承では寛永年間(一六二四~四四)、日光東照宮の造営にあたった工匠が桐が豊富にあった当地に住み着いたことによるとされている。明治一〇年に東京市場への出荷が始まり、次第に全国へ広まった。しかし春日部の桐箪笥は生地(仕上げをしていない状態)で東京に出荷され、東京で仕上げの加工をしてから販売されたため、「東京箪笥」と呼ばれていた。明治末期には二つ重に上置きを乗せた三つ重式箪笥が考案され、これが広く普及した。
 こうした歴史を背景にして、春日部市に隣接する宮代町もかつては多くの箪笥職人がいた。昭和二年、品質向上を目指し結成された「埼玉箪笥同業組合」に準じて結成された「百間村箪笥製造組合」の規約をみると、百間村には当時、二五軒の箪笥職人がいたことがわかる。それらの多くは生地屋であった。生地屋は製材屋から板を仕入れ、木取りして箪笥を作るまでの工程を担い、次にその箪笥に磨きをかけて、金具を付ける作業は仕上げ師が行っていた。ただし、削り替えの箪笥は仕上げまで生地屋が行っていた。

2-33 百間村箪笥製造組合規約(加藤氏所蔵)