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桐箪笥屋の技術習得

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 現在町内には生地屋が二軒、仲買人が一軒ある。ここでは川端の桐箪笥屋加藤武次氏・精一氏・浩史氏の桐箪笥作りを紹介する。
 加藤武次氏は明治四〇年生まれで尋常小学校卒業後、春日部市内牧の桐箪笥屋に修業に入った。修業は釘作りから始まった。桐箪笥に使う釘はウツギの釘で、房総から届いた三尺程の長さのウツギの束を水に浸して柔らかくしたものをキリダシで切り、修業に入ってしばらくは、来る日も来る日も釘を作った。そして次第に木取り、板削りと覚えていった。しかし、手取り足取り教わるというものではなく、見て技を覚えたものであった。武次氏が一八、九歳のとき、粕壁小学校で東京の講師による箪笥作りの競技会があったという。武次氏の長男精一氏は昭和九年に生まれ、父から桐箪笥作りを教わった。木取りから始まり、カンナかけ、そして組み立てと教えられた。当時は木取りをのこぎりで切ったあと、コバ(板の側面)をカンナで削ったので、コバをまっすぐにすることは難しかった。武次氏の孫、浩史氏は祖父と父から桐箪笥作りを教わった。大正時代も現代も桐箪笥職人として一人前になるのに少なくとも一〇年かかるという。

2-34 三代そろった加藤氏