糸や布の染色を職業とする家を紺屋といい、かつては宮代町にも百間、中島、逆井、藤曽根などに紺屋があった。衣服が和装中心であった時代には、糸を染めて縞や無地を織ったり、白生地を染めてよそゆきの着物を仕立てたり、あるいは手持ちの着物を染め替えて仕立て直すというように、衣服の賄いに染色が欠かせなかった。したがって、紺屋はたいへん繁盛をしたのである。しかし、第二次世界大戦後は衣服の洋装化に伴って紺屋が次々と姿を消し、現在では百間の井上染物店を一軒残すのみとなっている。
紺屋(こうや)の盛衰