ビューア該当ページ

初午

202 ~ 206 / 772ページ
 初午は立春を過ぎた二月の最初の午の日をいい、この日に稲荷様の祭りが行われる。稲荷信仰は全国に及び、特に東日本では屋敷神や同族神として多く祀られ、宮代町でも屋敷神として祀られる稲荷様の祠を多く目にする。初午に子供たちが稲荷社を祀っている個人宅や稲荷神社をヤドとして集まり、唱えごとを言いながら家々を巡り、お金を集めて回った。ヤド(宿)の家に子供たちがお籠りと称して泊まり、稲荷様に供えたご馳走をいただいた。

3-25 初午(内野 N家)

 町内のほとんどの地域で行われていた初午のお籠りは、初午の前日の晩から翌朝にかけて、一〇歳から一五歳くらいまでの男児が火鉢や布団を持ち込み、子供たちだけで泊り込んだ。泊まる場所は神社の社殿が広い場合は社殿で、社殿が狭い場合には境内に柱を立ててムシロで覆い、屋根の無い小屋のようなものを作ってその中で籠った。稲荷様の祭りを行う子供たちは、お籠りの前にムラ中の各家を回ってお賽銭を集める。各家に行くと、主に旧百間村地区では「初午のカンケ、くらっせ(ください)」といい、主に旧須賀村地区では「稲荷様のアブラッコ、くらっせ」といいながらお賽銭をもらって歩いた。こうして集めたお賽銭のおおかたは、駄菓子などを買ってお籠りの晩に食べたという。
 この初午のお籠りも昭和三〇年代を最後に行われなくなった。これは、子供たちだけで夜中にお籠りをするという行事内容が、教育上や防犯上問題があるということで自粛した経緯があったようである。
 稲荷様への供え物は、狐の好物である油揚げ・赤飯、そして初午の行事食として欠かせないスミツカリがある。スミツカリの作り方は各家ごとに異なるが、鬼おろしと呼ばれる大きな大根おろし器で大根をおろし、その中に節分の豆を入れて煮たものである。スミツカリは、そのまま供えたり、醤油やミリンで味付けをする。このスミツカリをワラツト(藁ツト)にいれて稲荷様にお供えし、家族の者もいただく。鬼おろしは、初午のスミツカリ以外には使う機会のない大きなおろし器で、一つの歯の突起が二センチメートルはあろうかという大変粗い歯で、まるで鬼の歯のようである。もともとは自家製の道具だったと思われるが、作り方が難しいのか、需要があるからなのか荒物屋などでも商品として売り出されている。

3-26 初午のツトッコ(ワラツト)(道仏 稲荷神社)

 初午には次のような禁忌伝承が伝わっている。
 ○初午には風呂を立ててはいけない。風呂を立てると火にかえるという。
 ○初午には風呂に入ってはいけない。かつては風呂屋も初午には休業した。
 ○初午には針を持つとヒニカエルという。これは機織りの糸をヒ(緋)といい、機織りのことをヒダスということに由来する。
 ○初午には午前一〇時前までお茶を飲んではいけない。
 東のある家では、初午には稲荷様に赤飯・スミツカリ・豆腐・油揚げ・御神酒などを供える。スミツカリの作り方は、大根を粗くすって、大豆と一緒に醤油で煮て味を付ける。スミツカリをワラツトに入れて稲荷様に供える家もある。初午にはお籠りが行われた。この付近ではS家に小学生の男児が集まって、稲荷様の杉山に丸太で小屋を作って、夜遅くまでにぎやかに籠った。この日には「初午の関係(会費のこと)……」といって、一軒一軒回ってお金(五円から一〇円)をもらって歩いた。当家では、お籠りに集まった子供たちに赤飯や小豆飯を出して食べさせた。
 逆井のある家では、初午は稲荷様の祭りで、スミツカリと赤飯を作って家の中の神様や耕地の稲荷神社に供えた。逆井地区では大正年間まで子供たちによってお籠りが行われた。稲荷神社の境内にムシロで囲いを作って風よけにした小屋を作り、男児が籠った。お籠りの昼間、子供たちが耕地内を灯明銭をもらいに回った。
 山崎地区では、二月初午の日は権現様(重殿社)に若者たちが一晩泊まり込んで、お籠りをした。若者たちは集落の家を回って、金をもらって歩いた。スミツカレイを作り、藁のツトッコに入れ権現様に上げた。また、近所の稲荷様(屋敷神)には、油揚げ、豆腐、ツトッコ(スミツカレイを入れたもの)を供えた。また、初午には小豆飯を炊いた。
 内野のある家では、初午の前日に男児たちが小絵馬を持って一軒一軒「初午の関係をください。初午のカンケをください。……」と回りながらお金を集めた。このお金でお籠りする家の稲荷様に油揚げと豆腐を供えた。お籠りのヤドは年長者で稲荷様を祀っている家がなる。ヤドの家では五目ご飯などを子供たちに御馳走した。初午にはスミツカレを作って、屋内の神様や稲荷様、馬頭観音様に供えた。スミツカレは大根を粗くすった中に、節分の大豆の皮を桝の底でグリグリさせながら剥いた実を大根の汁に一晩浸けて、醤油と砂糖で味付けたものである。スミツカレは小豆飯と一緒にワラツトに入れて稲荷様を祀っている家に、お互いに供えに行った。屋内の神様は、木製の神のハチで供える。
 須賀のある家では、初午にはスミツカリを神様に供える。スミツカリは大根を専用のおろし器でおろして、節分のときの大豆をつぶして一緒に煮る。スミツカリを作るときには、前に作ったスミツカリをタネとして少し残しておいて、これを入れて煮る。初午の前日には男児たちのお籠りが行われた。下地区の子供は御霊様にムシロを下げて、風が入らないようにして籠った。上地区では薬師様のお堂に籠った。いずれも小学校上級生の男児が夜遅くまで、太鼓をトントン叩きながら賑やかに過ごした。学校から帰ってくると地区内を一軒ずつ「灯明銭クダッセー、灯明銭クダッセー」と回ってお金を集めた。このお金で菓子などを買って食べた。その後子供たちが、この灯明銭をもらって歩くのがよくないとお籠りは止めた。