春分の日を中日とする前後七日間を春の彼岸という。彼岸は彼岸会ともいい、この彼岸とは梵語の波羅蜜多(はらみった)、訳して「到彼岸」の略で、生死の境を此岸として煩悩の此岸を離れて涅槃(ねはん)に到着する意味であるという。三月一八日ころが彼岸の最初の日イリ(彼岸の入り)にあたる。真ん中の日をチュウニチ(中日)、最後の日をハシリクチ(走り口)・アケといい、それぞれの日には変わり物を作って仏壇に供える。中日にはぼた餅、ハシリクチには土産団子を仏様に上げ、墓地にも持って行く。彼岸の前には、墓掃除をしておく。また、彼岸には親戚が線香を上げに行ったり来たりする。
逆井のある家では、彼岸の入りには白いご飯か小豆飯を作り、中日にはぼた餅、ハシリクチにはご飯、土産団子を仏壇に上げる。墓参りは中日に行う。また、彼岸中には彼岸参りといって、親戚の人が線香を立てに来る。
内野のある家では、作り物は入りとシマイの彼岸は何でもいいと、五目ご飯・寿司・小豆飯などを作って供える。中日はあんのぼた餅と決まっており、「あんこのぼた餅が食べられる」と喜んだものである。また、以前は迎え団子、送りの団子といって、入りとシマイの日には団子を作って供えた。彼岸の墓参りは、中日に決まっていた。
須賀下のある家では、イリと中日にはぼた餅を作って仏壇に供える。ハシリクチにはハシリ団子といって団子を作って供えた。これを「中日ぼた餅、ハシリ団子」という。墓参りは中日に行い、本尊様に以前はぼた餅などを持っていったが、現在では米を重箱に詰めてお金を添えて上げる。彼岸参りに来る家は、大本家や本家などの近い親戚である。