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クンチとオヒマチ(お日待ち)

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 九月九日は重陽の節供である。旧暦の九月は稲の刈り取りも進み、収穫に感謝する行事が行われる。九月九日、一九日、二九日をクンチと言い、変わり物を作って神様に供える。九月九日をショテクンチ・ハツクンチ、一九日をナカノクンチ・オヒマチ、二九日をシマイクンチ・シメイクンチという。オヒマチの一九日には餅を搗いて親戚に配った。普段は忙しいので、ゆっくりと話をしていられないので、「つもる話はオヒマチに」という。以前は一九日が小学校の運動会でアンビン餅を持って見物に行った。農家の人は「オヒマチまでに仕事を片付けて運動会に行こう」と楽しみにしていた。オヒマチには前日の晩から親戚が泊まりに来た。
 クンチには赤飯(クンチゴワメシともいう)や小豆飯などの変わり物を作って神棚に供えた。ある家では、クンチに赤飯の中に里芋を入れて蒸したものを食べた。二九日のシマイノクンチまでナスが食べられれば、長者の暮らしができるという。
 姫宮のある家では、オヒマチは虫の供養の日(ムシケラクヨウ)であるという。これは耕作で田畑の小動物を殺してしまったことに対する供養であるという。この日には、「大きなほどいい」と大きな餅を搗いて親戚に配る。昔の稲刈りは一〇月二五日ころから始まり「オヒマチの餅を食べてから稲刈りしよう」といった。
 辰新田のある家では、一〇月一九日をオヒマチという。オヒマチには親戚などにオヒマチの餅を搗いて持っていった。一九日のナカノクンチに作るアンビンは、甘いあんこを入れたのと塩あんを入れたものを両方作った。これらを半々に重箱に入れて親戚に持っていった。この日のことを「オヒマチの晩でなければ話はできない」という。これは、オヒマチの晩なら時間がたっぷりあるので、つもる話はオヒマチにしようということである。オヒマチが終わると、麦蒔きを行う。また、オヒマチの一九日は小学校の運動会でもあった。
 須賀下ではオヒマチを一〇月一九日のナカノクンチに行う。場所によって九日のハツクンチ、二九日のシマイノクンチに行う地区もある。「話はオヒマチの晩に」という言葉もあるように、オヒマチには親戚に一晩泊まって、ゆっくり話をし、土産に餅をもらって帰ってくる。以前は一九日が小学校の運動会でアンビン餅を重箱に入れて持っていった。アンビンはオヒマチモチともいい、「これを食べると稲刈りになる」というのが昔の農作業の流れだった。
 須賀上のある家では、オヒマチのときは、まだ稲刈りが行われておらず、小豆を引き抜いて麦を播くところをあけている最中である。このあとダゴエダシ(駄肥出し)をして、これを元肥にして麦を播いた。稲刈りは、オヒマチが終わると始まった。
 須賀のある家では、無駄口をきいていると「話はオヒマチの晩だよ!」と言われたように、秋のオヒマチの晩には親戚同士招待しあって、ゆっくりと話をしながら過ごしたものである。オヒマチは地域によって日取りが異なるので、こっちがオヒマチの日にはアンビン餅を持って親戚を呼びに行き、向こうがオヒマチの日にはやはりアンビン餅を持って呼びに来てくれた。招待した客には、てんぷら・けんちん・混ぜ飯などの御馳走や酒を振る舞った。また、米の糀で甘酒も作った。鶏を飼っている家では鶏一羽を料理して鶏の唐揚げを作った。そのほか、ホッツケ田を持っている家ではカイゴシでとれた魚料理・ナマズのてんぷら・ナマズのうま煮・フナの甘露煮・フナと大根の煮つけ・鯉こく・鯉の洗いなどを作って出した。