秋に一年間の収穫作業が終わるころには、稲刈りの終わったとき、唐臼挽きが終わったときそれぞれに収穫祝いが行われる。
秋の収穫がすべて終わったときにはシノジマイ、シノッパライといい、無事に収穫できた祝いに神様に新米のご飯や餅・おこわ・ぼた餅などを供える。家によってはぼた餅を供え、里芋を入れたけんちん汁を作り、家族が食べた。この秋の新米を食べる日をホガケという。唐臼挽きが終わるとぼた餅を作って荒神様に供えた。
辰新田のある家では、刈り取った稲を脱穀して選別して俵に詰めると、シノッパライと称してお祝いをした。俵詰めまでが完了したことをシノッパライというのである。シノッパライが終わったのは音でわかった。シノが終わると干しものに使ったムシロを叩いて、きれいにして仕舞うのでムシロを叩く音が聞こえてくる。ムシロッパタキの音が聞こえると、あそこはシノが終わったなとすぐにわかった。シノッパライにはぼた餅をこしらえて家中の神様に上げた。床の間の歳神様、成田山・笠間稲荷・大黒天様、大神宮様、お勝手の荒神様・オエベスサマ・母屋の裏の稲荷様・物置の俵神様などにぼた餅をあげた。シノッパライが終わるとその後はとれた藁で縄ないをした。
須賀上のある家では、稲の農作業がすべて終わった祝いにヒキアゲぼた餅を荒神様に供える。脱穀、唐臼挽きが終わったときの祝いである。また、新米のホガケといって、その年に穫れた新米を一番初めに食べるときには神様に供えてから食べる。
須賀下のある家では、秋の農作業がすべて終わったときに、シノバライの祝いが行われる。脱穀するときに出たごみをムシロから叩いて、ごみを払うことをムシロッパタキという。シノバライには、ぼた餅を作って供える。また、稲刈りが終わったときには、カッキリゲエ(カッキリ粥・小豆粥)を作って神様に上げる。
本田のある家では、田作業のすべてが終わった十月末ごろ、「お陰様でお米が穫れた」ということで赤飯とぼた餅を神棚に供えた。その後、同じものを仏壇にも供えた。