旧百間中島村の範囲である道仏と中須では、道仏に鎮座する稲荷神社を、若宮では若宮八幡神社をそれぞれ鎮守としている。道仏・中須の稲荷神社は、道仏と中須にあった神社、五社を合祀したので五社稲荷大明神という。また、毎年二組の幟を立てるが、神社の参道を入って手前の幟は道仏が、社殿寄りの幟は中須がそれぞれ立てる。なお、神社の境内には、寮と呼ばれる建物があり、集会所のようにして利用されてきた。若宮の若宮八幡神社は、現在、祭礼は夏の祭礼を七月二〇日、十五夜を九月一五日に行っている。総代を三人選出する。なお、この総代三人は若宮の古くからある家の多くが檀家となっており、若宮に所在する青蓮院の代表者と兼務となっている。
旧百間村の一部である川島は、杉戸町の近津神社を鎮守として氏子となっている。川島は、古利根川を境にして杉戸町に隣接している。また、姫宮神社を鎮守とする地域とはやや離れているということもあり、こうした状況となっているとみられる。昔は、七月二〇日の祭礼や一〇月一九日のおひまちには近津神社に幟を立てに行っていたが、その後、近津神社までは行かずに、川島で幟を立てるようになった。当初は庚申様の両脇に立てていたが、第二次世界大戦後は、立てる場所の都合で一庵となった。一方で、川島では、近津神社を鎮守としながらも、これとは別に川島だけの神社として稲荷神社がある。二月初午(以前は三月)が祭日である。このほか、七月二〇日の祭礼や、一〇月一九日のオヒマチにも幟を立てるものである。また、江戸中期佐倉藩領であったとき、藩の御用達をしていた尾花氏が佐倉の稲荷神社を分祀して近隣地区の守護神とし、その際佐倉の地名を桜と変えて社名としたと伝えられている。また、境内に二、三本の桜の木があったため、桜稲荷ともいわれる。
4-2 近津神社(杉戸)
蓮谷では、前述のように、『風土記稿』に「村の鎮守」とあり、現在でも稲荷神社をムラの鎮守として祀ってきた。神社の代表者を総代といい三人である。また、神社の祭りなどを行う氏子当番は三人おり一年交代で勤める。交代の時期は初午である。神社では、正月の行事の他、初午、四月一日ごろの前読み、七月二二日の祭礼、九月の二百十日、二百二十日、一〇月一九日のおひまちに祭りを行う。