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和戸

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 旧須賀村と同じように、鎮守を宇宮神社とし、「明神様」と呼んでいる。この旧和戸村の範囲は、本郷、和戸宿、沖の山の三つのムラに分かれている。宇宮神社はこの中の本郷に鎮座しながら、いわばこの三つのムラの鎮守となっている。このため、神社の代表者である氏子総代は、和戸宿から一人、本郷から一人、沖の山から二人が選出される。総代は、神社の財産にかかわる金銭の管理を行っている。このほか、実際に神社の行事は当番が行う。当番は、沖の山、本郷、和戸宿の順に一年交代であたる。当番にあたると、それぞれのムラでは当番の仕事を行うが、本郷では区長一人、班長八人、会計一人の一〇人が当番の仕事を行う。正月の幟立ては、当番が正月一日に行い、一五日に片付ける。祭礼は、郡村誌には六月一五日とある。
 一方、和戸村の範囲にある三つのムラでは、それぞれのムラで、それぞれの鎮守を祀っている。本郷では、本郷の鎮守様として愛宕神社を祀る。このほか、鎮守とはいわないが、本郷で管理する神社として胡禄社がある。愛宕神社は、火伏せの神であり、愛宕神社を鎮守として祀る本郷には、火事がないと昔からいわれてきた。愛宕神社には氏子総代といった役職はなく、区長が責任者となっている。神社の行事の世話をするのは当番で、幟の上げ下げと宴席の準備、後片付けを行う。幟の上げ下げは正月一日から一五日までと、年に三回の祭礼のときに行う。当番は、本郷の内部が八つの班に分かれるが、この班の単位で受け持つ。また、行事を一回担当すると次の当番に交代する形になっている。当番は班長から班長に引継ぎがされるが、この際には、当番の帳面を受け渡しする。一方、胡禄社は、郡村誌には「於母陀琉命、河志古泥命を合祀する。祭日六月一五日」とある。現在は、愛宕神社の当番が境内の草取りや掃除を行う程度である。
 和戸宿では、和戸宿の鎮守として浅間神社を祀る。このほか鎮守とはいわないが、和戸宿の管理する神社として弁天様がある。浅間神社は、特に子供の成長を守る神様として、この神社の例祭である六月三〇日には、初山といって生まれて初めてこの日を迎える子供を連れた人々の参拝が多い。この神社の創始については、昔、和戸村に疫病が流行り、これを鎮めるために浅間様を迎えて祀ったという伝承がある。また、昔、富士山に詣でて浅間様を担いできたとも伝えられている。浅間神社の管理は、江戸時代から昭和五〇年ごろ和戸宿の代表者が行ってきたが、その後、総代を選出するようになっている。現在は、和戸一丁目から五丁目の中からそれぞれ二人ずつ総代が出て、合計一〇人で総代会を組織している。任期は二年で、総代会を代表する総代会会長を一人選出している。実際に浅間神社の行事などの世話をするのは当番である。当番は一丁目から順番に一年交代である。当番の仕事としては、一月一日から一五日までと六月三〇日の幟立て、年末、祭礼前などの掃除がある。一方、和戸宿の弁天様は、昔から現在の児童公園付近にあった。一度浅間様に合祀したところ、地域に不幸が重なったので元の場所に戻したという。特に行事を行うことはないが、浅間神社の祭りの際には供え物をしている。

4-4 浅間神社(和戸)

 沖の山では、沖の山の鎮守として天神社を祀る。一一月三日が祭日になっている。神社の代表者を総代という。実際に天神様の行事などの世話をするのは当番である。沖の山全体は一〇組に分かれるが、この組の単位で当番を行う。当番の仕事としては、一一月三日の甘酒祭りの執行と、月の晦日に草取りを行っている。また、以前は幟を一月一日、二月一一日、六月二五日、一一月三日に立てていた。