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東粂原

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 鷲宮神社を鎮守としている。『風土記稿』では東粂原は現在の西粂原と二村で「久米原村」となっていたが、鷲宮神社二社が記され、それぞれ村の鎮守としている。七月一六日が祭礼であるが、現在はその日に近い日曜日に行われている。この日に獅子舞の奉納が行われている。神社の代表者を、氏子総代という。氏子総代は三人で、六つの耕地から交代で出すようになっている。任期は二年交代である。東粂原は、その内部区分として六つの耕地に分かれるが、宿屋敷、寺前、堀口では雷電様、前耕地、圦の前では山王様、渋谷では稲荷様を耕地神として祀っている。

4-5 鷲宮神社(東粂原)

 雷電様は、宿屋敷、寺前、堀口の耕地神様である。「風土記稿」には、粂原村の条に「雷電社二宇是も一は明智寺持、一は大聖院持」と記されており、この雷電様は村内にある大聖院持ちの方に当たると考えられる。以前は雷電山といわれる場所にあったが、明治時代末の神社合祀で、鷲宮神社に合祀されている。祠は、石の祠で現在も鷲宮神社に移されてある。祭日は七月二五日で、耕地祭礼とか耕地神様の祭礼といい、かつては獅子舞も奉納されていた。
 山王様は、スオウ様ともいわれ前耕地と圦の前耕地の耕地神様である。鎌倉街道を南に進み、ムラ境付近の用水路の橋を渡った先にあったが、明治時代末の神社合祀で鷲宮神社に合祀された。祭日は七月で、耕地祭礼とか、耕地神様の祭礼などといって、鷲宮社とは別に獅子舞を行っていた。
 稲荷様は渋谷耕地の耕地神様である。この神社はO家の稲荷様で、宅地の西南隅に祀られている。祭日は、三月初午のほか、七月二二日が祭礼である。この七月の祭礼には以前は獅子舞も行われたが、明治時代末の神社合祀後は、農家が午後から半日休む程度になっている。