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百間地区の寺と檀家

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 寺と檀家の関係でもっとも基本的な形は、居住するムラにある寺の檀家であるという事例である。東では西光院、前原では宝生院、金原では遍照院、若宮では青蓮院、道仏では医王院というように、ほとんどの家が自分のムラにある寺の檀家となっている。

4-7 医王院(道仏)

 しかし、若宮では、ほとんどの家が自分のムラにある青蓮院の檀家であるが、Aイッカは道仏の医王院の檀家であり、このほか西光院の檀家もある金原でも、ほとんどは自分のムラにある遍照院の檀家であるが、西原の青林寺、前原の宝生院の檀家であるという例もある。また、この事例に近いものとして、西、川端、藤曽根、宮東(松の木島、内野、柚の木)、山崎、宿、中須は自分のムラ内には寺がなく、ムラのほとんどの家が他のムラの特定の寺の檀家になっている。また、西、川端、藤曽根、宮東は、西光院の檀家がほとんどというムラである。これは、西光院と江戸時代の村の在り方、本分家関係などが複雑に関係していることに起因していると思われる。
 山崎と宿は、ムラの多くの家が青林寺の檀家である。現在西原にある青林寺は、もともと山崎にあった寺といわれる。宿も山崎に隣接しており、そのほとんどが青林寺の檀家になっている。中須は、隣接する道仏の医王院の檀家がほとんどである。
 一方、自分のムラに寺のない場合、ムラの各家と檀家の関係を結ぶ寺が、いくつもに及んでいるムラもある。この場合、本家分家関係にあるイッカや、同じ姓のグループが檀家関係を結ぶ単位となっていることによるものと考えられる。逆井にはムラ内に寺はなく、各家は青林寺、白岡の興善寺、宝生院、春日部不二山の浄春院、妙本寺などのムラ外の寺の檀家になっている。なお、N姓は、もともと西光院であったが青林寺に変わったといわれる。川島にもムラ内に寺はなく、各家ではほぼイッカごとにムラ外の寺の檀家になっている。医王院、遍照院、春日部市不二山の浄春院、杉戸町下高野の永福寺である。中寺、台の越、西原では、主として東の西光院、前原の宝生院、金原の遍照院、西原の青林寺の檀家が混在している状況である。なお、こうしたことはムラに寺がある場合でも本家分家関係等によって生じている事例がある。
 このほか、寺との檀家関係を結ばず、神葬で行う家もある。