須賀地区では、おおよそ檀家の寺に墓地があるという事例が多い。こうした中で、一族単位で墓地を持っている事例と、ムラで共同墓地を持っている事例がある。
檀家の寺とは別に一族の墓地を持つ事例としては、和戸宿のSイッカの例と、西粂原のKイッカの例がある。和戸宿のSイッカにはイッカの墓地として文殊院があり、『風土記稿』によると、幸手不動院配下の本山修験の寺であったという。一方、Kイッカでは、西粂原に春作庵をシモリしていた。以前、Kイッカでは、この春作庵に墓地も持っていたといわれるが、現在は宝光寺に墓地を持つようになっている。しかし、戦前には春作庵に埋葬したという例があるという。
ムラで共同墓地を持っている事例としては、国納の八河内の事例がある。八河内の共同墓地は、昔からの八河内全戸の墓地があり、小さな堂もある。八河内の昔からの家は、ほとんど国納の華蔵院の檀家になっている。
また、百間地区と同様家の近くに個人墓地を持つ家も多い。このほか、寺との檀家関係を結ばず神葬で行う家もある。