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赤松浅間

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 山崎の浅間社は、字京塚にあるので京塚浅間神社とか、赤松があったので赤松浅間などといった。この神社については郡村誌によると、平社であり、祭神を木花之開耶姫とし、祭日を六月一日としている。浅間様の管理は、一〇人くらいいる世話人が行うが、その中心は川島のS家である。この世話人は、山崎、川島のほか宿、西原から出ている。神職は、以前は山崎のI神主であったが、現在は姫宮神社の神職に頼むようになっている。江戸時代末期に、川島に島村四郎右衛門という先達がいた。この人は毎年、一〇~一五人くらいを募って富士山へお参りしていた人物で、二七回富士登山の経験があったという。先達としての名を重行といった。

4-9 山崎 赤松浅間 昭和5、6年ごろ(知久氏所蔵)

 現在、この浅間社は塚の上にあるが、これは大正年間に回りの土を掘り、山を造って鎮座させたという。このとき土を掘った跡は、池として残っていたが、近年埋めてしまった。現在の祭日は七月一日で、現在も初山の子供のお参りがある。