松の木島では、三月の初めての午の日を初午といい、その前日の晩から初午にかけて、子供たちが初午のお籠りを行った。会場は、稲荷様を氏神様として祀る家で、昭和初期には宮東(松の木島、内野、柚の木)中で一つの稲荷様に籠ったものである。籠る子供は、小学校一年生から高等科二年までの男児で、年長者がオヤカタになる。当時は、初午が近づくとオヤカタの指図で二班くらいに分かれて、稲荷様にある絵馬を持って「稲荷様のカンケー、クラッセ」といってお賽銭を集めに廻った。各家では、絵馬の上に一銭~二銭くらいくれるのである。宮東だけでなく、周辺の須賀、春日部の内牧、梅田、杉戸町、久喜市などまで廻るもので、家によっては五〇銭もくれる家があったという。こうして歩くと二七円くらい集めることができた。このお金で豆腐や油揚げ、菓子などを買って、お籠りのときに食べるのである。お籠りをする家では、子供たちのために物置を開放し、ここに布団を持ち込んで一泊する。参加する子供の家からは二合くらいずつ米も集め、この米などを会場の家に出して、五目飯を作ってもらった。また、甘酒なども出してくれた。お籠りの夜には、太鼓を叩いて遊んだり、他村の稲荷様に行って油揚げを取ってきたりしたこともあった。