七月二〇日は姫宮神社の祭礼である。現在は、午前一〇時ごろに総代が集まって祭典を行い、その後直会を行う程度である。しかし、第二次世界大戦前は、参道に露天商が出るなどの賑わいがあった。この当時は、氏子の家では赤飯を炊き、小さなお重に入れて姫宮神社に供えに行った。
神社では、赤飯を持っていくと拝んでくれたもので、供物として供えたものの五分の一程度をいただいてきて、家の者で分けて食べたという。このほか、昭和三〇年くらいまでは、祭礼には姫宮神社で神楽の奉納が行われた。庄和町榎の神楽師を頼んでいたという。この神楽も、戦前には多くの見物人を集めた。
神社から離れた地区では、姫宮神社の祭礼でも、ムラの者が参拝することはほとんどなかったという。西原では、ムラのものはほとんど参拝することはなく、区長が祭典に出席し、お札をいただいてくる。このお札は翌日の二一日に行われるお獅子様の際に、各家に配る。