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西粂原の甘酒祭りとお焚きあげ

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 西粂原では、ムラの鎮守である鷲宮神社で一〇月九日に甘酒祭り、一○月一八日にはお焚きあげの行事が行われる。甘酒祭りを行うためには、まず、米を集めて糀屋から糀を買い、甘酒を造ることから始める。甘酒を造る作業は、一年交代で四つの耕地が順番に当番となって行い、その耕地の神社総代の家を会場にする。祭りの前日には、米と糀を混ぜる作業を行う。これは、杉戸や幸手、現在は岩槻の糀屋に頼む。昼ごろ開始して夕方には完了し、一晩置くと甘酒ができる。造る量は一斗くらいであるが、以前には四斗樽一本くらい造ったものという。また、夕方仕込みを終えると、一杯飲んだものという。
 九日の祭り当日は、午後一時くらいに甘酒造りを行った総代の家から神社に甘酒を運び込む。まず神社に一升瓶に入れて供え先達に拝んでもらった後、参拝にくるムラの人々に振舞う。この甘酒が振る舞い終わると祭りも終了する。
 お焚きあげは、鷲宮神社で藁や薪などを燃やす行事である。一八日の昼間に、当番の耕地の人たちが麦藁や稲藁、薪などを集めて廻り、これを神社の境内に積んでおく。これを少しずつ鷲宮神社の前の御成道の路上で山にして、お焚き上げする行事である。お焚き上げは、先達が拝んでから、午後五時くらいに開始し、午後八、九時くらいまで燃やしていた。賑やかな祭りで、大道店(露天商)も多く出た。お焚き上げが終わると、当番の耕地の者は、神社に翌日の朝まで籠るものであった。現在は、晩のうちにすべて終了し、籠ることはない。
 また、この日はおひまちなので、餅を搗いて大福餅(あんこ入り)を作る。この大福餅をおひまちの晩のうちに五個か七個神社に供えに行くものであった。供えられた大福餅は、お籠りをしている当番が食べ、それでも残った物は翌朝持ち帰った。

4-25 甘酒祭り(沖の山)