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目的と分布・組織

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 代参講とは、遠隔地の有名社寺を信仰する者の集まりで、主として一年に一回、組織の代表者が社寺を参拝をするための組織である。宮代町域では、こうした代参講として榛名講、大山講、三峰講、板倉講、成田講、御嶽講、第六天講、秋葉講、宝登山講、大杉講などがあった。その多くは江戸時代以来続くものである。
 中でも、群馬県にある榛名神社を信仰する榛名講や、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社を信仰する大山講(石尊講)が多くみられる。この二つの講は、ほとんどの地域で見られるように、ほかの講と比べて圧倒的に分布しており、特徴的な信仰の在り方が見られる。
図1 講の種類と実施地区
  講の種類

地 区




















































×× ×××             
中 寺×× × ××            
西   ×             
前 原(○)                
金 原 ×   ××          
逆 井                 
山 崎     ×        
宿 × ×    ×          
西 原× ××               
藤曽根 × × ×             
姫 宮   ×            
川 端 ×                 
柚の木××    ×            
松の木島 ×          ×      
内 野× ×                
若 宮                 
中 須××   ×       ×     
道 仏× ×  ×             
川 島××           ×     
蓮 谷××    ×            
辰新田                
須賀上          ×   
須賀下               
須賀島××              
金剛寺× ×   ×            
東粂原××    ×      ×  ×  
西粂原××     ×           
国 納××                 
和戸宿××               × 
本 郷××                 
沖の山××            ×   
八河内 ×                ×
○やっている  △休んでいる  ×以前はあったがやめてしまった
▽随時結成  広範囲の構成員  『みやしろの信仰と年中行事』より作成

 このほか、秩父郡大滝村の三峰神社を信仰する三峰講、群馬県邑楽郡板倉町の雷電神社を信仰する板倉講、千葉県成田市の新勝寺を信仰する成田講が比較的良く見られる。
 こうした講は、ムラ単位で組織される事例が一般的である。また、代参講への加入は、本来任意で行われるものであるが、ムラ付き合いの一つとしてとらえられており、ほとんど全戸が加入するようなことが多かった。その後、地域の自治組織の中に、他所からの転居者が多くなり、今日では農家組合で代参講を運営するという地区もある。いずれにしても、ムラの単位が基本となってきた。
 ただし、地区によっては、ムラの規模が小さいため、二つの集落が合同で講を組織するという事例もみられる。こうした例としては、東と川端、中寺と藤曽根などがみられる。第二次世界大戦後は、それぞれの集落単位で行われるようになってきたという。また、国納の八河内では、集落の戸数が少ないため、代参講という形でなく、参拝するときには全戸で行くという総参りの講になっていたという。
 一方で、ムラ付き合いのようにして行われない講も散見される。榛名講や大山講が、ムラ付き合いのようにして行われるのに対して、三峰講、成田講、秋葉講、第六天講、宝登山講などは、希望で組織される講であった。むしろ、こうした形が代参講としては本来なのかもしれないが、町域の代参講の数を見ると少数派である。
 沖の山では、榛名講、大山講、成田講の三つの代参講があったが、榛名・大山がムラ付き合いのようにして参加している講であるのに対し、成田講は希望者が参加するものであったという。また、須賀島では大山講、榛名講、秋葉講、第六天講、板倉講があったが、このうち、大山・榛名がムラ付き合いのようにして参加する講であるのに対し、秋葉講、第六天講、板倉講は希望者が行く講であったという。
 また、こうした講の場合、複数の集落に講員が点在する事例も少なくない。さらに、集落の中の部分的な組(耕地)だけで組織されるという例もある。
 西では、大山講、成田講、三峰講があったが、大山・成田は西の集落だけで組織していたのに対し、三峰講は、西のほか、前原、川端にも講員の広がりを見せていたという。また、西原には、榛名講、石尊講、三峰講があったが、榛名・石尊は西原の集落だけで組織していたのに対し、三峰講は、西原のほか、山崎、姫宮、宮東に講員の広がりのある講であったという。東粂原には、榛名講、大山講、宝登山講、板倉講があったが、ムラ付き合いのようにして行ってきたのは榛名・大山だけで、宝登山・板倉は加入者が少なかった。こうした中で、板倉講は、雷電様を耕地神様にする宿屋敷のみで行う講となっていた。
 このほか、特定の職種で代参講を組織するという事例もある。和戸宿では、馬に関係のある人々で馬頭観音講を組織していた。
 代参講の信仰目的は、基本的に宮代町の町域がすべて農業地帯であったこともあり、農家のための作神様とみられているのが一般的である。川島には、板倉講、榛名講、大山講の三つの代参講があったが、三つの講とも作神様といわれてきたという。また、松の木島には、大山講と秋葉講があったが、両講とも作神様と伝承されている。
 ただし、個別に見ていくと、大山講は、出世の神であるという伝承もある。西粂原には、榛名講、御嶽講、大山講があったが、三つの講ともひと口に作神様といった。しかし、大山講だけは出世の神様ともいい、男は二五歳までに行くものとされた。