代参講は、講の成員である講員の代表が一年に一度、決められた時期に代参を行い、全講員が一度ずつ代参を行うと、その講は満了となる。講が満了になることを満講になるなどといった。講が満了となった場合、再び講員を募って全講員が代参を行えるように編成をして新しい講を興すのである。こうして興した講を新講といった。しかし、満了となって、新しく講を興すといっても、基本的に講員はそのまま継続するもので、表面上、講は強い継続性を持っている。
山崎では、代参講を講員が八年くらいで行けるよう編成したという。全員の代参が終了すると、代参講を一旦終了し、新たに講を作る形をとる。この場合、ムラの旦那衆の有力者が声を掛け、講金などを改正して新しい講を作るのである。こうした代参講の代参は昭和五〇年代に中断し、その後お札を送ってもらって配布するだけになっている。
一方、宮代町域では、集落で榛名講と石尊講の二つの講があるが、常時二つの講が活動しているのではなく、片方の講が活動しているときには、もう片方の講が活動を休止させている事例が散見される。たとえば榛名講の講員全部が代参を終えると、いったん榛名講は休止し、翌年から休止していた大山講を新たに興して代参を始める。この大山講も講員全部の代参が終わると再び休止し、その翌年からは榛名講が再開するという形である。こうした事例は、若宮、金剛寺、須賀下、須賀上でみられる。若宮では、榛名講と大山講を交互に実施し、片方の講が代参を出している時期に、もう一つの講は休止している。講員が二六人ほどなので、毎年四、五人が代参を行い六年ほどで全員の代参が終わって満講になる。満講になると、もう一つの講に切り替えるのである。ただし、須賀上では、もともと大山講と榛名講の代参は別々であったが、昭和四〇年代からこうした形式になったという。