沖の山には、「榛名代参人名簿」が残されている。この史料は、表題に「昭和七年改」とあり、昭和六年から昭和三一年の榛名講で使われたもので、簡単な講則と代参者名簿、昭和三〇、三一年代参の際の領収書から成っている。代参者名簿は、昭和二〇年から昭和二九年の間が抜けており、第二次世界大戦後で代参講が中断していることがわかる。昭和六年から一九年までは、おおよそ二人ずつの代参であったが、再開後の昭和三〇年は六人、昭和三一年には七人の代参となっている。この代参者の増加は、中断による調整の結果と考えられる。
簡単な講則として、次のような記述がある。
一、辻立札四枚
一、雹嵐除札八十八枚
一、家内安全札 八枚
一、筒粥 八枚
このことから、辻札と呼ばれるムラ境に立てるお札を四枚と、講員に配るお札を八八枚いただくように決められていることがわかる。このほか、筒粥については八枚であり、全講員に配ったものではなかったとみられる。また、講員に配られるお札については、雹雷除けとしている。
また、昭和三〇年と三一年の代参の領収書によると沖の山の御師は、東泉坊・小山全であったことがわかる。また、代参日は、二回とも三月下旬であり、この時期の代参で行われていたものと考えられる。