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御師

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4-36 大山の御師(伊勢原市内)

 大山阿夫利神社には、神社の山麓に御師とか坊、先導師と呼ばれる家がある。各講社は代参に行くと、毎年決まった御師の世話になる。大山阿夫利神社蔵で明治初期に書かれた「開導記」によると、宮代町域の村は、高尾幸弓、笹子稲尾、古宮惣左ヱ門、山田仁作、水島長治郎といった御師の世話になったとされる。なお、山田については内海政雄が、水島については古宮惣左ヱ門に委譲された旨も記載されている。伝承でも、笹子、内海、古宮といった御師の名前が挙げられている。
 御師では、一泊してお札を揃えてもらうものであった。中須の大山講では、代参に行くと坊と呼ばれる神主の家に泊まる。この坊に着くと白装束を借りて、これを身につけて神社の山に登る。坊で一泊して帰るときには、講員分のお札とムラ境に立てるお札を用意してくれる。西の大山講でも、代参で御師の家に到着すると、御師に白装束を借りて神社に参拝する。その日の晩は、御師の家に宿泊し、お札を揃えてもらった。
 御師には、講からは宿泊代として坊入を支払うほか、お札代、お茶代などを払う。このほか米を持っていって、御師に奉納するという事例もみられる。昭和初期の西の大山講では、御師の宿泊代である坊入が三円、お札代が二円、お茶代が二〇銭であり、このほか、御師へは白米一升を持っていったという。藤曽根の大山講でも、坊に米を持って行ったという。
 御師は、代参の際の世話になる他に、各講のムラに来てお札を配って歩くことがあった。山崎では、以前、正月に大山の御師が各講社を廻ってきたものである。このときには、各講員の家も廻って拝んでいったという。八河内では、毎年秋に御師がお札を持ってやってきたという。