蓮谷では、毎年米一俵、麦一俵と一〇年間くらい積み立てをして、積み立てをした全員で伊勢講を行ったものである。近年では、昭和二五年や昭和四五年に伊勢講で伊勢参りをしている。こうした伊勢参りをしてくると、記念として蓮谷の鎮守・稲荷神社に常夜灯や敷石、石碑などを奉納するものであった。現在、稲荷神社境内には、嘉永五年四月吉祥日建立の常夜灯があるが、これには「伊勢太々連」と刻まれている。これは、伊勢講による参宮記念の奉納物とみられる。また、昭和五年一二月二六日建立の伊勢太々記念碑もある。これによると、参宮は大正七年二月一五日に行われ、その後昭和三年二月一〇日、稲荷神社に敷石一七枚を奉納したことが刻まれている。
昭和二五年の伊勢講は、昔ながらの伊勢講で、旅行会社などを頼らずに一〇日~二〇日くらいの旅をした。行き先は伊勢だけでなく、お金の続く限り、旅を続けたもので、関西を皮切りに九州の別府まで行って帰ってきたという。これに対して、昭和四五年の伊勢講は、旅行会社に手配をしてもらったもので、それでも四国を一廻りしてきたという。なお、この昭和四五年の伊勢講の際の「皇太神宮参拝記念」の碑が鎮守の稲荷神社境内にある。