御嶽講は、長野県・岐阜県にまたがる標高三〇六三メートルの霊山、御嶽山の頂上に鎮座する御嶽神社を信仰する人々によって作られた講社である。古くから修験道場として木曽の村々の信仰を集めてきた。この御嶽山に一般の信者が登拝するようになったのは、江戸時代中期以降のことであり、尾張の覚明と埼玉県秩父の大滝村出身の普寛の両行者によって黒沢口、ならびに王滝口の登山道の整備と、御嶽信仰の普及によるものである。普寛が御嶽山を開いたのは、寛政四年(一七九二)六二歳の時であったという。以来、それぞれ覚明は木曽谷一円、普寛は関東、東海一帯に講を結成し毎年七から九月の山開きの間、大勢の人々が登拝するようになったという。なお、普寛は享和元年(一八〇一)本庄の地で亡くなり、霊堂と墓が当地に残され、普寛霊場として毎年春(四月)と秋(一〇月)の例祭が行われている。
こうしたことから埼玉県内には多数の御嶽講社があり、その流れを汲むのが、埼葛普寛講である。なお、こうした講は「先達(せんだつ)」と呼ばれる人たちによって運営、維持されている。