勝心講と埼葛普寛共同講の合併は、昭和四三年ごろ、埼葛普寛共同講のK先達(沖の山)から勝心講のK先達に働きかけたのが発端である。双方の主だった者が八海山(新潟県)に行って相談し、合併を決めた。その際、名称についてはいくつもの案が出たが、勝心講のK先達が埼葛普寛講という名称を提案し、決定された。
このように合併したが、二つの講の拝みは異なり、現在でも統一しておらず、百間を中心とした宮代での行事は勝心講として行い、久喜では埼葛普寛共同講として行っている。現在、勝心講では、初拝み、立ち拝み、お山への参詣、下山拝み、冬至祭等を行っている。