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由来と目的

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 東粂原の獅子舞の由来については、昭和三三年に埼玉県教育委員会が調査し、昭和四五年に刊行された「埼玉の獅子舞」に、次のような伝承が記されている。「江戸時代、新田開発が行われたが、利根川が氾濫し、作物はとれず疫病も流行した。これは新田開発により、当地の神々の怒りを招いた故と、杉戸より習いうけ獅子舞を奉納した。以後、山王様・雷電社・鷲宮の三社に獅子舞を奉納。明治以後、三社は鷲宮神社に合祀され、七月十六日を祭日と定めて奉納。現在にいたる。」。なお、京より習い伝えられたという言い伝えもある。一般的に獅子舞には、川の上流から獅子頭が流れて来たのがきっかけて始まったという創始伝承が伴ったり、獅子頭自体が龍に比定されるなど、川や水との関わりを示すことが多いが、基本的にはこの東粂原の獅子舞も利根川やその氾濫が伝承の基本になっている。このほか古い獅子舞の道具の一つに江戸時代の年号である「延享二年」(一七四五年)の文字を見たことがあるという伝承がある。このため平成八年(一九九六年)の段階で二五〇年の歴史があるという根拠になっている。しかし、その年号が創始を意味するのか、作成年代等を意味するのか、今となっては明らかではない。
 
   「東粂原鷲宮神社獅子舞」(動画)