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[戸守りと古札]

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4-63 戸守り(郷土資料館 斎藤家)

 母屋の玄関・縁側・雨戸や仕事場の入り口などに盗難除けや悪病除け・家内安全などのお札が貼られている。これらのお札は榛名講・三峰講・大山講などの代参でいただいてきたり、鎮守などから受けてくる神札である。
 また、民家の戸袋や神棚などには、お札が納められている。これらの習俗は古くからあり、江戸時代には有名社寺への代参やお参りが盛んに行われていた。また、古いお札を一〇〇〇枚ためると、火事を防ぐ効果があるという伝承もある。
 西原の新井家と本田三丁目の加藤家の民家解体時に、俵などに入れられたり、束にして天井の梁にくくりつけられている大量の古いお札が発見された。

4-64 俵


4-65 俵の中の札


4-66 木札


4-67 成田山の札

 新井家は旧百間村西原下組(現字西原)に属し、江戸時代の文化・文政期には組頭や名主を務めた旧家で、明治時代には副戸長を務めた。加藤家は蓮谷村(現本田三丁目)にあった。先祖は戦国時代の甲斐の国二四万石の大守加藤遠江守光泰の系譜といわれている。加藤家は江戸時代初期からの草分け名主で、天明期には蘊月庵素秋という俳人も輩出している。
表1 加藤家一覧
社寺名和 暦 西 暦備 考
総願寺天保 八年四月(一八三七) 
天保一〇年五月(一八三九) 
天保一〇年七月(一八三九) 
天保一一年正月(一八四〇) 
天保一二年五月(一八四一) 
万延 元年五月(一八六〇) 
大正一〇年十月(一九二一) 
不動院文化一五年二月(一八一八)加藤家最古
文政 三年三月(一八二〇) 
文政 五年二月(一八二二) 
嘉永 七年二月(一八五四) 
伊勢神宮明治三五年 (一九〇二)伊勢暦
X表1・2とも、年号が明らかなもののみ掲載した。

表2 新井家一覧
社寺名和 暦 西 暦備 考
常光院弘化 三年二月(一八四七)新井家最古
正本山元治 二年四月(一八六五) 
大神神社明治二〇年二月(一八八七) 
金毘羅神社明治二五年 (一八九二) 
X表1・2とも、年号が明らかなもののみ掲載した。

 新井家から発見された古札の総数は三九二七点で、社寺数は一五六地点である。この社寺の分布範囲は、県内や関東地方だけでなく、東北・関西・西国などに及んでいる。古札で一番古い年号の確認できるものは弘化三年(一八四七)である。
 加藤家から発見された古札は総数八九一点で、年号の分かる札と伊勢神宮の木箱や木札が多いのが特徴である。社寺数は七一地点で、分布は県内や関東地方の社寺がほとんどである。一番古いお札は、春日部市不動院の文化一五年(一八一八)のものである。新井家と加藤家から発見されたお札は総数で四、八一八点もの多数である。
 両家の古札のなかで町内の社寺が発したお札は、一〇社寺の三七八枚である。一番多いのは宝生院の一四七枚、次いで姫宮神社の八八枚、西光院の八二枚の順である。県内では旧大宮市氷川神社の二五〇枚、同秋葉神社の七九枚、幸手市雷電神社の五八枚、鷲宮町鷲宮神社の五五枚の順である。前記以外の県内の社寺は、秩父地方に集中し、三峰神社の二四枚が最も多く、また秩父札所も九か寺が確認されている。三峰神社は火伏、盗難除けのご利益があると信仰されている。

図3 町内の社寺の古札分布図

 関東地方の千葉県では成田山新勝寺が四〇九枚と一番多く、新井家、加藤家ともに二〇〇枚以上確認されている。群馬県では榛名神社が二六〇枚と一番多い。茨城県では鹿島神宮、笠間稲荷神社、筑波山神社がそれぞれ四〇枚から五〇枚ほど確認されている。神奈川県では大山阿夫利神社の七〇五枚が多く、次いで川崎大師の九四枚となっている。
 東北地方では月山・湯殿山・羽黒山(八一枚)と出羽三山に対する信仰が強いことがわかる。
 中部地方では山梨県の富士浅間神社の一九九枚が多く、また戸隠神社、善光寺、御嶽山神社、豊川稲荷神社、津島神社、熱田神宮と著名な社寺からのお札も多くあった。
 西日本では伊勢神宮の一九四枚が多く、次いで愛宕神社の八六枚となり、また熊野宮、高野山明王院、厳島神社、出雲大社、金刀比羅宮といずれも著名な社寺からのお札が多くあった。このように、すでに江戸時代後期には人々は宮代町から全国各地の社寺に出かけており、当時の信仰圏の広さがうかがわれる。

図4 県内の社寺の古札分布図