出産の方法には座産と寝産がある。寝産は資格を有した産婆制度が確立されたあと推奨されるが、それが広く行きわたる戦前までは主に座産が行われていた。座産はヘヤに藁を敷き詰め、捨ててもよい布団を引き、その上に丸めた藁束を二把積み、それにもたれたり、肘をついたりして生んだ。座産の方が力が入って楽に生めるという考え方が強く、また、初めての出産が座産であると、次に寝産で出産することは怖くてできないといった心情から、産婆が産後の処理をしやすいよう寝産を指導し奨めても、なかなか定着しなかったという。一方、寝産では布団を敷き、その上にゴム布(産婆が用意する)、油紙、その上に新聞紙を縫い付けたボロを敷き、その上で出産した。ボロはよく洗ったものを産婦の家で用意するが、戦中戦後の衣料が貴重たった時代はボロさえ少なく、産婆が用意することもあったという。また、灰布団という布団もよく用いられた。これは子供の布団ほどの大きさで中に藁灰を入れたもので、出産の前にあらかじめ縫っておいた、しかし、灰布団だけだと縫目から灰がでてくるので、上にボロを敷いた。このような準備のあと、いよいよ産気づくと、産婦は寝巻きや浴衣に着替え、丸髷を結っていたころはそれを解き、髪を一本に束ねて麻の紐で縛った。髪は産後、床上げまで洗わずに縛っていた。
生まれると、へその緒は生児から三センチメートルくらいのところで結んで、胎盤側を指で抑え、拍動が止まるのを待って切る。昭和初期は麻糸で縛っていたが、のちに衛生的な結さく糸ができた。出産直後は産婆が一人でさまざまなことをしなくてはならないので、生児は布にくるんでおき、まず産婦の処置を先にする。へその緒を引き、下腹を押さえるとエナ(後産)が出てお産は終了する。その後、生児を産湯に入れる。こうした自宅出産は昭和五〇年代を最後に行われなくなった。
出産のときに夫は側にいないほうが良いといわれ、普段どおりにしていて野良にいたり、産湯の準備として大釜にいっぱいの湯を沸かしたりしていた。