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 乳が多く出る人は足りない人に分けてあげた。それでも余った乳は「もったいない」と南天の下に捨て、上から土をかけた。一方、乳が出ない人は米をひとつかみ、水にヒヤシテ(浸して)から擂鉢で播り、晒に包み、水の中を泳がせて出た白い液に砂糖を入れて、哺乳瓶に入れて飲ませた。また、よくすってお湯で溶いて砂糖を少し入れ、煮たりもした。哺乳瓶は昭和初期には六円くらいで薬局で手に入った。あるいは飼っていた山羊の乳を飲ませる家もあった。
 山崎のある家では、以前は二歳くらいまでは授乳していた。下の子が生まれると自然と離れたが、下の子がいなければ三歳でも飲ませていた人もいる。乳がいつまでも離れずに困ったときは、苦いほおずきの根の汁を乳首に塗ったりした。
 和戸本郷の西方院の十一面観音像は元観音堂のご本尊で乳児観音ともいい、乳が出ない人がお参りすると出るようになるといわれていた。
 西粂原のある家では、余った乳を南天の下に捨てるときに南天の葉に乳がつくと乳が細くなるといった。