ビューア該当ページ

里帰りの機会

435 ~ 435 / 772ページ
 正月、三月節供や九月節供、正月一五・一六日、盆、祭礼、シノッパライ、オヒマチなどに実家に帰った。
 正月一五・一六日は「カギッツルシでも休む」といい、嫁も里帰りした。また祭礼の前日に赤飯をふかしたり、餅を搗いて嫁いだ娘のところに持っていって、祭礼に招待したりした。農作業が一段落するシノッパライのあとも嫁は里帰りが許された。里帰りにはお稲荷さん(稲荷寿司)や太巻き寿司などをいくつか重箱に入れて持って帰り、近所に配った。帰りには洗い張りした半纏や親の着物を壊して作ったモンペなどをもらってきた。また、実家の親から小遣いをもらうのが楽しみだったという。いずれも里帰りは日帰りか一晩泊まりが普通であった。
 姫宮のある家では、オヒマチには嫁の実家では重箱に塩アンビンとアンビンを同じ数だけ詰めて、それを婚家先へのお土産とし娘を迎えに行ったという。
 沖の山では、盆や彼岸は実家の両親が達者なうちは行くものではない、という例がきかれた。
 西原では、大正一〇年代は正月一五日ごろ、里帰りした。実家へのお土産は赤飯を重箱で二つのほか、鯖や鮭などの尾頭付きの魚で姑もついていった。実家では姑がくるので大変なもてなしをし、帰りのお土産は甘いあんの入った大福のような餅を重箱に入れて返した。男親には瀬戸物に入った一升の酒、女中には白粉や一〇銭程度の小遣いをつけた。
 沖の山では、四月二五日の天神様の春祭礼には草餅、七月二五日のサイレイ(祭礼)には赤飯を作って実家に帰った。