通夜の前に死者の身体をきれいに清める湯灌を行う。昭和初期までは北隅のヘヤの畳を上げて、死者を床板に寝かせ、あるいはゴザを敷いて寝かせて行った。床板を何枚か外し、タライを地面に置いたという家もある。「人前で裸になるのは赤ん坊のときと湯灌のときだ」といい、湯灌をするとき死者は裸であった。湯灌にはふだん使用していた井戸水を沸かし、水をあらかじめ張ったタライにお湯を注ぎ、ぬるま湯を作った。そのため、日常生活において水にお湯を入れてぬるま湯を作ることを嫌った。湯灌をするときには、近親者は薄着になって子供や兄弟など、血の濃い順に真新しい手拭いを使って死者の身体を拭いた。また、湯灌の前に死者の服を脱がせるときは、ハサミを使わずに二、三人で脱がせる。脱がせる事ができない形状の服のときはハサミで切る。
湯はハキダメや畑、墓のウッチャリ場などに穴を掘って捨てた。また手拭いは乾かしてから庭先で燃やした。
こうした湯灌に代わって昭和初期からアルコールを薬屋で購入し、使うところもあった。これをフキガンともいう。
中島では、湯灌の湯を沸かすときは鍋には蓋をしない家がある。日常生活では湯を沸かすときは鍋に蓋をする。