死者に着せる着物は白い着物(シロモク・シロムク)やジバンや腰巻で、木綿の晒を一反購入して、死者の子供たちが縫う。シロモクは普通の着物の製法とは異なる方法で縫う。例えば、一反で縫い、縫いはじめには結び玉を作らない。また、何人かがいっしょになって縫い、左手で縫う。左手で全部を仕上げることが困難なときは幾針か左手で縫い、あとは右手で縫うこともあった。また、縫目を粗くし、不幸が繰り返さないように返し縫いも避けた。日常生活では前述のような方法で着物を縫ってはいけないといわれた。こうして亡くなってから死装束を手縫いしたのは古い時代で、家にあった浴衣を着せる家もあり、昭和四〇年代には紙製のものが棺などといっしょに購入できるようになった。
また、キャハン(脚半)やテッコウ(手甲)・ズダブクロ(頭陀袋)をつけて、足袋とワラジ(草鞋)を左右逆に履かせ、額に天冠(三角布)をつけた。キャハン・テッコウ・ズダブクロは晒でシロモクと同様に縫った。いずれも後年には紙製のものができた。
その上に着せる着物は、袷の着物では「死があわさって、また、死人が出る」といって嫌われた。あるいは「袷の着物では仏になるのに窮屈だ」ともいう。
棺には五穀や小銭、故人が大切にしていたもの、嗜好品などを入れた。小銭の代わりにズダブクロに銭型のはんこを六個押した紙を入れることもあった。これは三途の川の渡し賃になるという。
山崎のある家では、八月一日のカマノクチアケ(釜の口開け)からお盆までの間に亡くなった場合、死者の頭に鉢を被せた。釜の口が開いていて、いろいろと降ってきて頭をけがしてはいけないからだという。
納棺すると、血の濃い人から順に石で釘を打った。棺は晒で巻き、その上にはカケモクといって、死者が生前着ていた着物の内、上等なものを掛け、埋葬後に寺に納めた。カケモクには袷がいいという。どこかで葬列にあったとき、このカケモクを見れば亡くなった人が男性か女性かわかったという。
須賀上のある家では、棺を閉める前に死者の兄弟や子供の髪の毛を少しずつ切って、半紙に包んで棺に入れる。これは死者がさびしくないように、「後で行くから、早く迎えにこないように」という意味があるという。