埋葬がすんで、帰ってくると塩を体に振って、桶などに張った水で手を洗って清めてから家に入った。このとき、臼を転がして北向きにした上に塩を入れた皿を置く家や、屋敷の入り口にはタワラッペエシ(サンダワラ)に小さな御幣を立てたものを置く家もある。これは隣組の人が神主から買ったもので、タワラッペエシは喪家にあるものを使った。
午後二時ごろからは忌中払いを行った。座敷には親戚などに向けた本膳が用意してあり、ロクドウはショウザ(上座)についた。まず冷酒で清めたあと、飲食する。これは組の女性たちが作った精進揚げ、豆腐、油揚げ、ひじき豆、黄粉のぼた餅、けんちん汁などである。きんぴらごぼうにはにんじんの赤は入れず、ゴボウだけで作り、けんちん汁の豆腐は三角形に切ったりして、日常の料理とは少し違うようにした。また、麦飯が主食だったころも葬式には白いご飯(白米飯)を食べることができた。本膳に使う黒塗りの膳・椀・皿などは地区で共同所有しているものや、地主たちが持っているものを三〇組、五〇組と借りて使う場合がある。共同所有の場合、その保管場所は最後に葬式を出した家である。親戚が帰ったあと、葬式組以外の近所の手伝いの本膳となる。そのあと、念仏が始まる。
次に同じ組の女性たちの食事となるがこれは喪家で用意する。本膳には小さな団子を重箱に山盛りにしてつけた。
西粂原のある家では、忌中払いのあと、敷布や葬式まんじゅうなどを会葬者にシキモノ(引物)として渡したという。