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繭からの製糸

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 昭和初期までは、養蚕で出た屑繭から糸を取って自家用の絹布を織り、これを紺屋で柄物や無地に染めてもらってよそゆきの着物を仕立てた。屑繭には、薄皮繭、汚れ繭、玉繭があり、玉繭は糸に引くほか真綿にもされた。
 繭から糸を取るには、まず、カギッツルシ(自在鉤)に鉄鍋をかけて湯を沸かし、この中に一升の繭を入れて煮る。繭は、生の状態で煮ると湯の中で広がるので、必ず乾燥させてから煮るようにした。繭が煮えたら火から下ろし、七輪かコンロに直径三〇センチくらいの糸繰り鍋を掛ける。この中に繭を二〇数粒入れ、ワラミゴの小箒で掻き回して糸口を出し、表面の硬い糸を手回しの枠に巻き取る。そして、良い糸が出てきたらこれを引き出して鍋の縁に掛け、ここから数本を取ってザグリ(座繰り)の小枠に巻き取る。太い糸にするには二〇本くらいを一本にまとめて引き、細い糸は五、六本を一本に引いた。途中で繭が薄くなって中の蛹が見えてきたら、鍋の縁から別の糸を取って足し、常に均等な太さを保つようにした。ザグリ(6-2)には鼓と手振りが付いており、鼓に糸を絡めてから手振りの先を通して小枠に巻き取った。糸は、鼓に絡めることでゆるい撚りが掛かる。また、手振りは小枠の回転に合わせて左右に振れるので、小枠全体に均等に糸が巻き取られた。

6-2 ザグリ

 玉繭は、二頭の蚕の糸が絡み合っているので、糸を引くと絡んだ部分が節になった。これを緯糸に織り込むと、紬のような風合いになった。
 繭からの糸取りは母や祖母から習うことが多かったが、学校でも講習会が行われた。また、よそへ習いに行く者もあり、西粂原のY氏(明治三四年生)は、一四歳のときに須賀のK家ヘ一〇日間ほど糸取りを習いに行った。K家では主人が養蚕指導員を行い、その妻が糸取りを教えていた。