おむつは、実家の親から届けられることが多かった。着古した浴衣や布団側で縫われ、浴衣のおむつはよそゆきとされた。浴衣一枚からは、身頃で四枚、袖で二枚と、計六枚のおむつを縫うことができた。また、浴衣や布団側が十分にない場合は、着古した紺絣や縞の着物も利用された。終戦後には水玉模様のおむつ地が売り出されるようになり、昭和三〇年代から四〇年代には晒木綿のおむつが主流となった。
おむつの上には綿入れのおむつ布団を巻き、紐で締めておいた。また、毛糸の腹巻きをおむつの上に被せたり、女物のミヤココシマキを短く切って被せる者もあった。終戦後には、市販のおむつカバーが普及した。