嫁入りには「一生着られる着物を持ってくる」といい、一張羅のよそゆきから仕事着までひととおりの着物をそろえて持参したものである。よそゆきは桐の三つ重ね簞笥に入れ、上段の小引出しには小物、中段と下段の引出しには着物や帯や長襦袢を入れた。ふだん着や仕事着は、ツヅラや行李に入れた。
戦争中から終戦直後にかけての衣料不足時代には衣料切符が配られ、一人が年間に購入できる衣類の点数が一〇〇点(昭和一九年からは五〇点)までと制限された。そのため、婚礼が決まった家では、親戚から点数を借りて嫁入り支度を整えたものである。当時は、現金に米や大豆などの食料を付けて闇物資の古着を買う者が少なくなかった。また、配給される綿布や絹布は優先的に嫁入り支度へ回され、養蚕農家には繭や桑樹皮の供出に対する報奨物資として絹布が配給された。手拭は貴重品であり、これを入手できない場合には、袷の着物をほどいて胴裏の白木綿を切り、手拭代わりとした。
着物のほかには、下駄箱、針箱、裁縫用具、鏡台、タライと洗濯板、布団、座布団、衣桁などをそろえ、これらを荷車に積んで近所の者が運んだ。
下駄箱には親戚から贈られた下駄や草履を入れ、傘立てには蛇の目傘を入れた。
裁縫用具には、針刺し(くけ台)、ハサミ、糸、ヘラ、コテ、張り板、裁ち板などがあり、昭和二〇年代から三〇年代にはミシンも加わった。
鏡台の引出しには、櫛、ピン、髪油などの整髪用具と、クリーム、化粧水、白粉(おしろい)、口紅などの化粧品を入れた。
布団は、三布(みの)の掛布団と五布(いつの)の敷布団で一組となり、これに綿入れの夜具(夜着)を付けた。夫婦用一組と客用一組を持参し、夫婦用の布団側は木綿、客用は銘仙であった。中綿は、一組につき約三貫目が必要とされたので、自家製の綿を用いる場合には、数年分の綿をためておいて一組の布団を作った。布団の収納具には古くは長持が用いられたが、昭和初期には一間幅で上下二段の重ね戸棚(夜具戸棚)が普及した。