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うどん

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 畑作地域の金原、逆井、西原、須賀などでは、日常の晩飯にうどんを食べることが多かった。
 食べ方は年間を通してツケシタジが多く、これはアゲメンといって茹でて水に晒したうどんをシタジにつけて食べるものである。シタジは、カツオ節でだしを取った醤油味の汁で、これに茹でたインゲンやナスなどのカテと薬味を添えた。薬味は、刻みネギや擂りゴマである。また、ネギやナスの油炒めに水を加えて煮た醤油味の汁も作られ、これは煮汁と呼ばれた。夏は、ゴマ汁につけることが多かった。ゴマ汁は、擂りゴマ、味噌、砂糖少々、薄切りのキュウリ、刻んだシソの葉をシラジ(擂鉢)で混ぜ合わせてから水で延べたもので、薄切りのキュウリが浮かんだようすを筏に見立ててイカダジルとも呼ばれた。冬には、トウジルといってうどんを食べる直前に熱湯にくぐらせてからシタジにつけた。また、冬にはヒモカワをネギ、油揚、豆腐などと醤油味で煮込んだり、けんちん汁に入れて煮込むことも多く、これらが残ると翌朝温め直して食べた。温め直したヒモカワは汁にとろ味が出るので、ご飯にかけてもおいしく食べられたという。そのほか、冬には小豆の汁粉にうどんを入れて食べたり、釜揚げうどんに醤油をかけて食べることもあった。
 うどんは、古くは家で打たれたものであるが、昭和二〇年代後半から三〇年代には小麦を製麺所へ持っていって干しうどんと取り替える家が多くなった。製麺所では、機械を使って精米や精麦、製粉、製麺を行っており、前原(字中)、杉戸町、久喜市のうどん屋などに小麦を半俵くらい届けておいて、干しうどんと交換をするたびその把数を通い帳に記入した。